愛知に根ざし、世界を思いやる
いまほど「思いやり」を手放してはならないと思う時代はありません。
ここ数年は拍車がかかったように、地球上のあちこちで、自然災害だけではなく、戦争や武力衝突による人為的な惨事が引き起こされています。かけがえのない命がないがしろにされ、人びとの嘆きや苦しみが止む気配はありません。まるで私たちに、異なる人間や文化の共存は許されないのだと言わんばかりの、ことばを失うような世界の現実です。科学技術は進歩し続けるのに、予測困難な時代の気配は増すばかり。短時間での効率性ばかりが求められ、追い立てられるような時間の流れのなかで、私たちは立ち止まることを忘れ、あるいは考えることを断念しそうになります。
こうした時代に生きているからこそ、私は自分のビジョンに、この大学を優しさと力強さを決して手放さない学生と教職員で満たしたいとの思いを込めました。根ざすべき「愛知」とは、物理的な意味の〈地〉とギリシャ語源の哲学である〈知〉を愛する意味に拠っています。「学」び「問」う行為は、自分が足をつけ体で感じることができる地と、自分もその中にいるのだという思考によって感じることができる世界と、共にあります――「愛知に根ざし、世界を思いやる」。人によってつくられる社会や世界は、人によって傷つけられますが、そのことは逆に、人の手によって傷を癒し優しさへと変えられることも意味しているはずです。
大切なことは、物事の道理から外れず、世界の現実に強い関心を寄せ、その間に生じる矛盾を根気強く問い続ける姿勢です。そのことにつながる教育として、3つの点を強調したいと思います。
1. 世界を真正面から受けとめる教育としてのリベラル?アーツ
世の中の出来事は〈文〉と〈理〉の区分に従って起きるのではありません。複雑で混迷を極める世界を真正面から受けとめるためにこそ、学問分野を〈文〉と〈理〉へ簡単に分離しない構えが求められるのです。区別すれども分離?分断させず、両者を自由に行き来できるような視野と思考が求められます。これこそ縛りから解き放たれて世の中を受け止める術――まさにリベラル?アーツのはずです。
2. 世界の文脈のなかでこそ発揮される専門教育の本領
専門教育は本来、世界の複雑さを整序し理解しやすくするためのものです。しかし日本では「専門外だから」と、世界に目を向けるよりは、自分が慣れ親しんできた領域や枠にのみ留まることを高度な専門性と評する向きが強いように思います。この世の複雑さに向き合うには、専門教育だけでは限界があるという謙虚な姿勢、そして殻のなかで温めてきた専門性は殻を破った外の世界でこそ本領を発揮するのだと考える大胆な思考が必要です。
3. この世界を生き抜くための挑戦と失敗の教育
大学教育の限られた時間のなかで、自由に発想した成果を現実生活に適用したり、改善したりする挑戦的な活動や、逆に結果としての失敗から学ぶことは、この世界を生き抜く糧となります。この点で、社会の変化が生み出したのがアントレプレナーシップ教育やスタートアップという取組みです。いずれも〈起業〉に関する経験の勘所は、成功や失敗の結果ではなく、その因果関係の検証から困難を克服する生き方を学ぶ点にあるのです。